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錆び付いた線路だけが残る旧揖斐川線、既に尻毛駅も駅舎は撤去されてます。
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干支も一周しました
2007年 01月 17日 |
12年前の本日阪神淡路大震災が発生しました。





当時私は大阪市淀川区に住んでおり、今でもあの揺れ(突き上げと横揺れ)は、思い出すとぞっとします。窓の鍵が開いていてこの揺れで全開したことも思い出されます。
また、公共交通機関は全てストップしており、会社まで自転車で行きました。
なで自転車かというと、丁度17日は新しい支店長の着任日で、8時過ぎに会社に電話すると新任の「A尾」支店長が出られて、「何とか出社したが、誰もいないし、社内が大変だよ何としてでも来てくれ」と、云われたのでまぁ仕方なく出社した次第です。
新支店長とは知らない中では無かった(東京の本部時代に一緒に仕事をしていたから)ので自転車で駆けつけました。

しかし、出社するにも大変でR176号を会社に向けて漕いでいくと、淀川にかかる十三大橋の橋脚に損傷があるかも知れないと云うことで、車両通行止めを行っており、歩行者のみ通行を許可されており、自転車は確か降りて押していけば通行可能だった記憶があります。それから暫く進みJR福島駅の高架を過ぎてR2号線に出ると信号は消え、道路の亀裂から水が噴き出していました。やっとの事で会社に到着すると、会社のビルも損傷を受けており、ビルの3階と4階の間から水が流れ落ちていました。
会社内は、重い金庫が1~2mほど移動し、コピー機も横にスライドしていました。
私の机も袖机にMacと13インチのモニタがあったのですが転がっていました。
出社したのも7名ほどで、何も判らない状態で黙々と社内の片付けをしていました。
確か被害状況を報告するために写ルンですを購入し全て撮影し現像した記憶があるのですが、あの写真とネガは何処に行ったのでしょうか、多分今は無き本社に保存されていることでしょう。その後、社員の電話で阪神高速の崩落、神戸の惨状が伝えられ愕然としました。

既に12年経過はしましたが、あの震災を経験した事は忘れることはないでしょうし、また経験はしたくないです。震災でなくなられたかにご冥福をお祈りいたします。
by moririny | 2007-01-17 05:46 | Diary
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